相原一希 公式ブログ「Life is Beautiful.」

ADHD<注意欠陥・多動性障害>でLGBTQ+<性的マイノリティ>の 相原一希が日常を綴ります。

暗黒時代を経て、未だ病んでいる時だからこそ、改めて人の温かみを知る。

こんばんは、相原一希です。

 

今日お話しするのはものすごく胸くそ悪いお話です。

苦手な方はすぐに戻るボタンを押してください。

 

私も、今泣きながら、吐きそうになりながら、この文章を書いています。

 

それでも私のことを知りたいと思う方のみ先へお進みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、終日研修でいろいろためになった部分も多く有意義な時間を過ごせていたのですけど、

 

コンディションは決してよろしくない。

体調が悪いわけではない。

 

精神的なバランスが崩れ切ってしまっている。

 

眠たいはずなのに眠れない。

寝たはずなのに起きられない。

 

カフェインも控えるような生活を送っているけれど、依然として効果なし。

 

ストラテラ(アトモキセチン)120mgを服用しているけれど、

特に最近は効いているという実感が皆無で、

 

朝がもともと得意ではなかったけれど、それが以前にも増して辛い・・・。

 

ストラテラを飲み始めてから、朝のしんどさはかなりマシになってきていたのだけど、

環境の変化とストレス過多の生活によるメンタル部分のバランスが取れなくなってきていて、

 

今日も配信を見ていてすごく励ましてもらったり、

 

暖かい言葉をかけてもらったりして、

 

画面を片手に号泣してしまうくらいには、

 

バランスがおかしなことになっている。

 

 

 

--------------------

 

 

 

私自信平坦な道のりじゃなかった人生だったし、それは今も昔も変わってない。

 

それは幼少期から敷かれたレールだったのかもしれない。

 

でも今はそのレールから大きく外れて生きているつもりだったのに、

実はその分岐した道でさえも敷かれたレールのような感覚がしてしまっている。

 

カエルの子はカエル

 

そんな気さえしている自分が嫌になる。

 

遺伝子レベルで刻み込まれたものは、変えようのないことだと植え付けられているかのような絶望感。

 

 

 

 

 

 

 

私は、父が嫌いだ。

 

 

 

幼い時に、お父さんやお母さんみたいになりたい。と思うお子さんも多いだろうと思う。

 

 

私は母のようになりたかった。

 

 

それは幼少期から父の金銭感覚がズレが補正できず、苦しんでいた母を見ていたからというのもあったのかもしれない。

 

 

 

 

ここでは初出しの情報にはなるのだけど、

私が大学を辞めた理由について、ここで触れておこうかなと思います。

 

 

私が大学を辞めた理由。

 

 

いや、辞めざるを得なかった理由。

 

 

 

私は、皆さんには学費の面で負担が大きかったので、という理由でお話をしていましたが、実はそれは真実ではありません。

 

 

 

 

私が大学を辞めざるを得なかった本当の理由は・・・

 

 

 

学費に充当されるべきお金。奨学金

 

奨学金が口座に入金されて、半期ごとにお支払いするはずのお金が、

 

 

 

すべて父親に使い込まれていたことにより支払いが不可能になったため。

 

 

その額、250万超そして、使途不明。

 

 

 

 

私ははじめ何が起きていたのか全く分からなかった。

その事実を知らされた頃には、すでに除籍の手続きが行われた後の話だった。

 

 

学部長の部屋に呼ばれて、

 

「実は学費が納入されていないため、

学校としては除籍処分となりましたので、以降の講義は受けられません。

 

ご両親には何度もご連絡を差し上げたのですが、

回答が頂けていないまま、指定期限超過により、除籍となります。」

 

 

 

と淡々と告げられて、私は谷底に突き落とされたような気分だった。

どうやって帰ったかも覚えていない。

 

 

 

はい・・・?

 

 

 

帰り道に母親に電話して、学部長から言われた言葉を伝えた。

しかし、母もあずかり知らぬところで、こんなことが起きていた。

 

 

母は大激怒、私は途方に暮れて、食事ものどに通らなかった。

 

 

しかし過ぎてしまったこと、これはどう足掻こうが消せない事実であり、

私は働くことを半ば強制的に選ばざるを得なかった。

 

 

そして、某ホームセンターを運営している会社へとなんとなく就職。

 

 

気が付けば、店長の指揮下の元サービス残業、出退勤簿の改ざんが常態化している店舗への配属となり、

1日の睡眠時間が2~3時間なんてのは、ほぼ毎日だった。

 

 

ただ、休んじゃだめだ。

そんな気力だけで最後の方は通勤していたが、限界が訪れる。

 

 

出勤しようと思うと、パニック状態に陥るようになり、出社不能になる。

 

 

当時の医師からは、自律神経失調症との診断をもらった。

 

一身上の都合により退職となった。在職期間は半年ほどだ。

 

 

 

そこから1年ニートをして、今は亡き祖母と最期のひと時を過ごして、

祖母が他界するギリギリまで一緒にいた。

 

 

この時に祖母と一緒に焼いてもらえばよかったなんて今になって思う。

 

 

 

こんなに生きづらい人生を続けることに果たして意味があるのか。

私は自分のために使われたわけではない借金250万超を返済するためだけに生きているのか・・・。

 

 

そう考えると、父をいまだに許せない。

いっそのことさっさと死ねばいいと思ってる。

 

 

--------------------

 

 

 

 

祖母が他界したのが東日本大震災の年だ。

 

 

今年で、12年目を迎えた。

 

 

この12年間で私は自分のために何かをしてきただろうか。

 

 

本当に私がやりたいことはこんな事なのだろうか。

私が生きる意味とは。

私って何なのか。

 

 

いろいろ考えた。

 

 

 

反抗すると、怒られるので、ずっといい子を演じていた。

ほかの子の保護者から、いい子ねぇ。

そう言ってもらえるのがうれしくて。

 

 

決して母親が褒めてくれなかったわけではない。

母は私のやりたいようにやりなさいといつも背中を押してくれた。

 

 

MTFとして生きると決めた現在でも、唯一の理解者である。

 

 

父はというと、私がMTFとして生きていくと伝えると、

好きにすればいい。成人しているわけだから親がとやかく言うことではない。

 

 

私は、反対されたら、家を出るつもりでいた。

 

 

 

父から父親らしいことをしてもらったことは記憶に残っていない。

幼少期の思い出も、すべて母や祖母との思い出ばかりだ。

 

 

 

そんな確執がある状態で、父からしても私に対しての負い目があるから、余計だろう。

 

 

ただ、私に対して

 

〇〇してやった。とかって恩着せがましく言ってくるのが何よりも気に食わない。

 

 

私はあんたのせいで人生を大きく棒に振ったんだ。

 

 

今年34歳になって、大学も除籍、その後の経歴書も長く勤めて4年、それ以外は1年前後で辞めている会社ばかりだ。

 

 

そんな中途半端な私だからこそ、親離れするタイミングは早い方がいいと思っている。

 

 

もちろん、私からみたら過保護に見えるかもしれない家庭が、

もしかすると普通なのかもしれないし、

どの程度のサポートやフォローを両親がしてくれるのかは各家庭によるだろう。

 

 

 

ただ、私の家庭の状況はとんでもなく異常だということは分かる。

 

 

ちなみに、破産したのはこの奨学金をひっくるめての破産になりました。

 

 

--------------------

 

 

 

34歳にもなって、社会に適合できず、職を転々とする日々。

ADHDだから仕方ない。

うつ病だから仕方ない。

 

 

病気のせいにするのは”しゃく”だが、正直薬を常用しなければ平静を保っていられない状況である今は正常か異常かで言えば、異常だし、

 

 

本来飲む必要のない薬でバランスを取っている。

それでもバランスが取れていない現状であるからして、

私はこの先どうしていいものか本当に絶望視している。

 

 

ダメ元で、社会福祉協議会へ出向き現状を伝えたこともある。

 

 

ヒアリングという名の、詰問が続くー。

 

 

若いんだし、働けるでしょ?

 

家族に家を提供してもらえるなら、保護は受けられない。

 

車の所有は原則として認められない。

 

トランスジェンダーというものがどれくらい生きづらさに直結するかは理解できない。

 

 

 

じゃあ、通院はどうしたらいいんですか?

交通機関に乗っててぶっ倒れることがあるような人間が、

平静を保って病院までたどり着けるとお思いですか?

私には人権が与えられないのだろうか。

 

 

 

私は、普通に働くという当たり前のことをも満足に出来ず、

昨年は住民税非課税世帯に該当するレベルの収支状況。

 

 

私はいったいどうしたらいいのだろうか。

 

 

社会は私に死ねと言っているのだろうか。

 

 

今日研修が終わって、17Liveを開くまでは、

またしてもあの時と同じ過ちを繰り返してしまいそうになっていた。

 

 

 

どうして、神様は私にこのような試練を与えるのですか?

 

 

 

生きる意味を失った人間に存在する価値はありますか?

 

 

 

--------------------

 

 

今日、配信で温かい言葉をかけてくれた皆さんのおかげで、

私はいま泣きながらキーボードを叩いている。

 

 

ものすごく胸くそ悪い話だけど、これが真実。

 

 

原一希という人間を構成するマイナス要素。いわば諸悪の根源。

 

 

口先では、気にしていないと、自分に暗示をかけるかのようにしているけれど、

私は加減を知らない。

 

 

怒りに任せて、飛び降りることだって今なら平気でできる。やらないけどね。

 

 

 

ただ、生きていくうえでこのことが脳内にずっと刻み付けられていて、

忘れられずにいて、そして自分自身のアイデンティティを完全に見失ってしまっていた。

 

 

 

でもアイデンティティーを思い出させてくれたのは、

 

ほかでもない17Liveで出会った皆であり、

 

生きていてほしいと声をかけてくれたのも、

 

17Liveで出会った皆さんです。

 

 

私は、対外的には悩み事なんて少なそうに見えるかもしれないし、

人の悩み事に対していろんな角度からのアドバイスをおこがましいですが、

させて頂いたりする。

 

 

 

ただそれは、自分が失敗多き人生だから語れる引き出しが多いだけ。

 

 

 

私の人間としてのキャパシティは本当に小さい。

 

 

 

そのキャパシティの器の水の中にほんのちょっとでも黒いインクが混ざってしまえば、

途端に真っ黒になってしまう。

 

 

そんな人間。

 

 

出来れば笑って生きていたいと思う。

 

だけど、今の私はこのまま前を向いて生きていられるか自信がない。

 

だから、助けを求めるように今日も、きっと明日も17Liveの配信を見て、

自分の存在意義を確かめるのだろう。

 

 

 

ただ、そうして自分の存在意義を確かめながらじゃないと、

私は前に進むことができない。

 

 

だから少し。もう少しだけ、甘えさせてください。

 

 

 

 

原一希